神奈川の身近な自然を訪ねて ~小田原文学館など小田原城界隈を巡る~


日 時:2 月 22 日(木)10:00~15:00曇り、24 日(土)10:00~15:00晴れ、
参加者:一般79名(22日及び24日の合計)、スタッフ16名
コース:JR小田原駅→小田原城址公園→報徳二宮神社→清閑亭→小田原文学館(昼食)→伊藤博文邸跡→正恩寺→御幸の浜→小田原城址公園

JR小田原駅に集合して、最初の目的地である小田原城址公園の二の丸東掘りの石垣にある地上の植物の生きている化石と言われているマツバランを観賞した。小田原城は1500年ごろに戦国大名小田原北条氏の居城となってから、豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む約9kmの総構(そうがまえ)の日本最大の中世城郭に発展した。江戸時代の小田原城は徳川家康の家臣である大久保氏を城主として迎え、城の規模は三の丸以内に縮小され、明治3年に廃城となったが、現在の小田原城は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が城址公園として整備され、昭和35年(1960)から天守閣が復興、そして常盤木門、銅門、馬出門が徐々に復元された。小田原城の本丸・二の丸周辺には、その歴史を感じさせる巨樹のクロマツ、アカマツ、イヌマキ、ヒノキ、クスノキ等に圧倒され、報徳二宮神社では、創建百二十周年記念として平成29年に建立された両部鳥居は樹齢約300年スギの大樹4本で作られ、その威厳を感じることが出来た。

小田原には明治以降、多くの政治家や文人などが別荘を構え、清閑亭は小田原の町や相模湾を一望できる素晴らしい眺めに恵まれた場所に造られ、小田原文学館の建物の本館は昭和12年スパニッシュ様式で建築され、屋根瓦など本場スペインから取り寄せ、当時の小田原町民をびっくりさせたと言われている。界隈には三好達治、谷崎潤一郎、伊藤博文ほか多数が居を構え、そして明治天皇・皇后ゆかりの御幸の浜では海辺の散策を楽しみながら、その当時の歴史に思いを馳せ、最後の目的地である25代・650年以上も続く老舗の薬屋の小田原外郎(ういろう)家の歴史、一子相伝の薬「透頂香」と接待用に作られていたお菓子のういろうについての説明に耳を傾けた。今回のコースでは今が盛りのウメとカワズザクラの花や小田原の蒲鉾や干物の買い物も出来て、参加者にとって満足の一日であった。

小田原城址公園の学橋から二の丸へ入る

クロマツ、アカマツ、クスノキ等の巨樹に守られている天守閣は来館者のための耐震補強工事が平成28年4月に終了したばかりである

報徳二宮神社では、二宮尊徳翁の偉業を学び、注連縄の種類と意味も学んだ

明治時代に活躍した黒田長成侯爵の別邸として、明治39年に建てられた清閑亭は小田原の町や相模湾を一望できる素晴らしい眺めに恵まれた場所にある

幕末の志士で、元宮内大臣でもある田中光顕伯爵が別邸として建てた小田原文学館

正恩寺は尾張、三河、小田原と三回移築され「尾三相州転遷の道場」と呼ばれ、木造・入母屋造りの鐘楼門は、ケヤキの通柱4本で造られ関東地方南部では希少な建築である