会報 森人だより 第163号(2021年10月号)


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会報 森人だより 第162号(2021年9月号)


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no162-2021-09


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続・巨樹がくれた夢(その4)ワクチン接種、そして熱海の土石流


伊豆の日暮らし(続・巨樹がくれた夢)

(その4)ワクチン接種、そして熱海の土石流

コロナワクチンの接種が仲間うちで話題となり、自分もそろそろと考え始めた。私は住民登録を横浜市にしているので、同市の接種が必要と考え、HPにアクセスしたが、全然繋がらない。

それではと国の大規模接種にもアクセスしたが、これも全然ダメ、ニュースで予約の枠が空いていると報道されても、ログインが出来ないのである。これが日本のお役所仕事かと、腹をくくって、神奈川県での一番最後の高齢接種者となることを覚悟した。

ところが、持つべきものは友達、高校時代の同級生のアドバイスで、あっという間に新横浜駅前のクリニックに予約が取れたのである。ズルをしたわけでもなく、普通に一発で取れたのである。

前置きが長くなったが、これからが話の本筋、7月2日(金曜日)に二回目の接種を受けることになり、早朝伊豆急の宇佐美駅を出発した。何故なら、ここのところ長雨が続いており、超ローカルの伊東線が不通になることを恐れたのである。幸い交通網に異常はなく、土砂降りの新横浜駅に到着、接種も無事に終えることができた。帰途は横浜線で町田に出て、小田急線で小田原に到着、昼食をとり、東海道線の改札に向かった。ところが伊東線の伊豆多賀・網代間が不通になっているではないか!!原因は線路の点検、復旧時刻は未定。本能的にこれはダメだ、早急の復旧は無理だと思い、引き返して横浜の自宅に宿泊、次の日しばらく会っていなかった孫一家と会い、午後帰途についた。

後から知ったのだが、この日の午前中に熱海市・伊豆山の土石流がおきていたのである。東海道線の小田原・熱海間は不通であったが、新幹線は大幅遅延でも動いていたのでなんとか、「こだま」に乗って熱海に到着。宇佐美のマンションの友人が、伊豆急の熱海の一駅先の来宮で働いていたので、来宮駅まで徒歩で行き、彼のクルマに便乗させてもらってようやく宇佐美まで帰り着いたのである。

その夜のテレビのニュースは、熱海の土石流の衝撃的な映像を繰り返し放映していた。その映像には普段通る国道135号線の景色も含まれており、「逢染橋」というロマンチックな赤い橋の存在が私の記憶に残っていたのである。

土石流の起点となったとされる盛り土
(GoogleMapより)

報道によれば、土石流の始まった地点が盛り土であったとのこと、新聞の写真を見て、私は直感的に盛り土と呼べるようなものではなく、大規模な土砂捨て場であったに違いないと推定した。これは多分人災なのであろうと。

常識的に使われる「盛り土」、「切土」は山を削って出た土を、平坦地の地盤として活用し、階段状の造成地をつくる過程を示す言葉である。多分本工事の申請は盛り土として行われたものの、始めから土砂捨て場として外部から持ち込んだ土砂を多量に捨てたものと推定した。別な言い方をすれば下流の住民の知らない上流に土石流の原料が貯められていたという恐ろしい仮説が成り立つのである。その後の報道で、盛り土の安全に必要な水抜き孔や下流域での砂防堰堤が皆無であったことを知り、私の推定は確信に変わった。これは人災だったのだと。今回の災害は、地球温暖化が進み、気候が凶暴化している昨今、モンスーン地帯に位置する我が国に起こりえる恐ろしい出来事の先駆けであるのかもしれない。

東海道線の熱海駅から出発する上り列車は、直ぐ短いトンネルに入るのであるが、このトンネルの出口が逢染川、鉄道の高架橋の下を土石流が流れ下り、国道を横切って海にまで流下する土石流となったのである。ここから見下ろす無残な光景を乗客の殆どは気付いていない。東海道線の直ぐ上には平行して走る新幹線の高架橋がある。二つの高架橋は下を走り抜けた土石流に見事に耐え抜いたのであろう。この地点を通るたびに復旧作業の進展が見られるのであるが、私は毎回慄然とした気分でこの光景を見つめている。

30人近い人命と、100軒以上の人家を一瞬に破壊した土石流、まさに人間が原因を作り、自然が起こした「魔の山津波」の恐怖を、私はひしひしと感じるのである。

(2021年7月20日、佐藤憲隆)

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会報 森人だより 第161号(2021年8月号)


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続・巨樹がくれた夢(その3)山笑う


伊豆の日暮らし(続・巨樹がくれた夢)

(その3)山笑う

マンション付近も山笑う

「山笑う」とは春の俳句の季語、語源は「臥遊録」にある「春山淡冶にして笑うが如」よりきた語とされている。私は伊豆に来て、何度も冬を過ごし、待ち焦がれた春を迎える周囲の山々の変化を目の当たりにして、まさに「山笑う」とはこのことだと納得したのである。おまけに悪乗りして四楽章の交響曲に例えてしまった。

山笑う第二楽章「桜笑う」

第一楽章:目覚め

ある日、なんの変化もなく枯葉色に眠っていた山に、見えるか見えないかというサイズの緑の点が現れ、段々と点が大きくパッチ状となり、淡緑色の若葉の塊がどんどん大きくなり全体を染めてゆく。芽吹きという季節の変化のダイナミズム。

第二楽章:桜笑う

桜が咲き始め、山全体が色づき、華やぎ、春のクライマックスを迎える。山全体が桜の笑顔で埋まっている。

山笑う第三楽章「若葉の競演」

第三楽章:若葉の競演

木々は若葉で染まりその色は、木ごとに微妙に異なる。個々の木が色の違いにより識別できる。常緑広葉樹が独特の変化を強調し存在感を訴える。クスノキの樹冠は赤く染まり、椎の木(スダジイ)の樹冠は黄金色に輝く。山全体が喜んでいる。常緑広葉樹も華麗な若葉を見せるのである。

山笑う第四楽章「森色の森」

第四楽章:森色の森

樹々は若葉色から深緑色に変わり、森色に溶け込みひとつとなる。春の祭りは終わったのである。やがて梅雨を迎える頃には個々の樹々の識別が出来ないほど深い緑の森色に溶け込んでゆく。

ここでは第二楽章「桜笑う」について、やや詳しく述べてみる。

「桜笑う」はこの時期の伊豆の里山を彩る桜たちを指すもので、街に咲くソメイヨシノなどの園芸種を指すものではない。

ソメイヨシノが開花する頃、里山のあちこちが白からピンク系に色づいてゆく何とも言えぬ美しい景色を指すのである。

「桜笑う」の主役はヤマザクラで、ピンク系と白系と緑系があるようである。ある日これらの正体を確かめるべく森に入ったが、試みは失敗に終わった。桜も含めて殆どの樹々が、どれも10m以上の高木で、下から見上げても花の様子が分からなかったのである。人間の手が入らなくなった里山の樹々は密集し、光を求めて上へ上へと伸びてゆき、桜は光を得られる上部のみ花を咲かせたのである。何故こんなに多くの桜があるのか?それは小鳥たちによる種の拡散であると推定される。小鳥たちの多さは、麓のミカン園の多さに支えられているものとも推定される。奈良の吉野山程とは言えないが、伊豆の里山に見られる桜の分布の濃さは特筆ものだと思える。嘘だと思うなら、この時期の小田急沿線と伊豆急沿線の車窓からの景色を比べて欲しいと思う。

先に述べたピンク系の桜は、多分ヤマザクラで、赤っぽい葉の芽吹きと同時に開花し、よりピンクが映えるのであろう。白系は野生のオオシマザクラかもしれない。緑系は緑の葉の芽吹きと白い花が重なって見えるものと推定するが、そんなヤマザクラがあるのか、あるいはオオシマザクラなのか、まだ結論が出ていない。来年のシーズンには結論を出したいと考える。

いずれにしても、伊豆の「桜笑う」は放置された里山に、野鳥たちが創り上げた、ワンダーランドなのである。

(2021年7月7日、佐藤憲隆)

(つづく)

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続・巨樹がくれた夢(その2)伊豆の桜


伊豆の日暮らし(続・巨樹がくれた夢)

(その2)伊豆の桜

伊東小室桜

伊豆には桜のシーズンが二度ある。最初のそれは2月半ばからのほぼ一箇月で河津桜や伊東小室桜という早咲きのピンク色の濃い桜で特に河津桜は全国に広まり、早い春を象徴する桜として有名である。この桜の良い点はひと月くらいの長い間、散らずに長持ちすることである。この桜は寒緋桜と大島桜との混血種として、河津町の川の畔で発見されたもので、それが人の手によって増やされ、全国に広まったようである。ピンク色の源は沖縄等を原産とする寒緋桜の緋色を引き継いだものであろう。早く咲く習性も寒緋桜から引き継いだと考えられるが、何故か伊豆に咲く寒緋桜は、河津桜よりも10日ほど開花が遅いのである。

伊東小室桜は、伊東市のご当地桜のようであるが、知名度は低い。多分、花期や花からみても河津桜の流れを汲むものと思われるが、花が小さく、葉も多めで、河津桜にあきらかに見劣りすることから有名にならず、伊東市内のみに知られるのであろう。私は伊東市にお世話になっている関係から、この地味な桜を毎年愛でることにしている。

伊豆の次の桜のシーズンは、ソメイヨシノが満開となる3月下旬からの2週間ほどである。大体東京の桜の満開と同じころにあたる。もちろん伊豆にも沢山のソメイヨシノが見られるが、私が強調したいのは、里山を飾る桜の数々で、これについては次章の「山笑う」で述べたいと思う。

(2021年7月7日、佐藤憲隆)

(つづく)

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続・巨樹がくれた夢(その1)伊豆の日暮らし


伊豆の日暮らし(続・巨樹がくれた夢)

(その1)伊豆の日暮らし

椿:伊豆日暮

椿:伊豆日暮

小室公園の椿園を歩いていた時、ピンクの絞りの花を見て、これは素晴らしいと閃くものがあった。ところが名札が無い。折角気に入ったのに名前がわからないもどかしさを感じながら歩いていたら看板が見つかった。そこには「伊豆日暮」とあり、わざわざ「いずのひぐらし」とフリガナがあった。これが私の目を引いた椿の名前だと判明したのだが、「伊豆の日暮らし」という読み方にも、私はすっかり惹かれてしまった。まさにもう15年も伊豆に暮らしている、自分のことでもあるという意味でも共感を覚えたのである。

先に述べたように、この椿園には1000種4000本の椿が各地から集められており、その中でこの椿は数少ない地元産の種に違いなく、園内のあちこちに名札も無く多数植えられているのをその後確認したのである。

私は、この小さな発見にあやかって、本編で言い尽くせなかったことの数々を追加すべきとの思いで、改めて「伊豆の日暮らし(続・巨樹がくれた夢)」として、更にブログを続行しようと決めたのである。

(2021年7月7日、佐藤憲隆)

続・巨樹がくれた夢(その2)伊豆の桜」へつづく

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会報 森人だより 第160号(2021年7月号)


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no160-2021-07


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会報 森人だより 第159号(2021年6月号)


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no159-2021-06


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巨樹がくれた夢(その10)森を歩くことは思い、考えること


「巨樹がくれた夢(その9)ガイアシンフォニー(地球交響曲)、そしてプレート」へ戻る

長々と自分の思いを披露してきたが、その殆どが歩いている間の自問自答から発したものである。

80歳で初めて本格的な病を得た私は、寝たきりになってしまう恐怖に襲われ、出来るだけ毎日歩くことにしている。自然の豊かな伊豆半島では、どこを歩いても森であり、火山であり、海がある。次の3コースを順番に訪れている。

宇佐美漁港よりの大室山

漁港コースは宇佐美漁港を往復する海岸コース、南には海越しに大室山がよく見える。この火山は4千年前に一度だけ噴火し、直径1キロほどの火口を有している。なぜか火口を有する山を見ると癒されることに最近気付いた。火山を見ながら足元の波音や潮の香りを楽しみ、夕日が山の向こうに沈みゆくのを眺める、至福の時である。

小室山公園コースは、椿1000種4000本、つつじ40種10万本を主体とし、テニスコート18面、グラウンド、大駐車場を備えた本格的な自然公園、早春に咲く伊東小室桜の標識地でもある。ここからは意外に近くに富士山の眺望が楽しめ、出来るだけ見える日を予想して訪れることにしている。

奥野ダムの梅林

奥野ダムコースは伊東市の後背地の水源である伊東大川に建造された治水ダムで一周4.8キロ、かつての伊東市の大洪水を契機に作られたものである。本格的な森林コースで、森の香りが強く感じられる。ここではボランティアにより、樹木の名前が数多く表示されており、私も森林インストラクターになりたての頃、頻繁に訪れて一人学びに励んだものである。

結語
誰に頼まれた訳でもなく、こんな文章を書き続けてきたのは何故か?自分が森との関係を持った、この15年間の気づきを、遺言として仲間たちに伝えたかったのかもしれない。

自分の病気とコロナもそれを後押ししてくれたのかもしれない。

ともかくきっかけは夢、今でもキラキラと私の頭の中で輝いているし、幸福感に包まれている。この夢はもしかすると森林生態系を含む偉大な自然の仕組みを象徴しているのかもしれない。

敢えて夢の理由を詮索するのは、野暮の骨頂かもしれない。

森と関わり、自然を強く意識して生きることが、今の私たちに必要なことなのかもしれない。

「ワッハッハー木枯らしに乗りおさらばじゃ」
数年前に出来た辞世の句、これは森林生態系を念頭に、風葬にあこがれる自分の気持ちを詠んだものである。

巨樹がくれた夢
2021年2月12日
佐藤 憲隆


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