会報 森人だより 第158号(2021年5月号)


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no158-2021-05


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巨樹がくれた夢(その8)ガイアというコンセプト


「巨樹がくれた夢(その7)森林生態系」へ戻る

地球ラブロック博士によって提唱されたこの説は、地球そのものが生命体であり、自己調節作用を有しているというものである。森林生態系、海洋圏や大気圏も含むシステムが生命体のように活動しているという、このガイア仮説は、どちらかというと科学的には否定されているようであるが、非常に魅力的な概念として信奉者は多い。まさに自然の摂理そのものとして、私に響いてくる。

例えば大気中の酸素濃度が常に21%に保たれているのは何故か?
もし酸素が増えすぎたら、陸上には山火事が頻発して酸素を消費するし、逆の場合には森林が増加して酸素を増加させるに違いない。
(海に関しての言及は省略する)

(その9へつづく)

巨樹がくれた夢
2021年2月12日 佐藤 憲隆


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巨樹がくれた夢(その7)森林生態系


「巨樹がくれた夢(その6)心の依り代としての自然」へ戻る

陸上生物が生存出来る仕組みを森林生態系と呼ぶ。森を学ぶにあたって必ず引用される重要テーマのひとつである。

主役は森(植物)であり、故に「森は陸上生物のゆりかご」と言われるゆえんである。

森(植物)は光合成という重要な反応をつかさどり、太陽光と炭酸ガスとを吸収・反応することによって酸素を放出し、同時に炭水化物を生成・貯蔵する。陸上生物は酸素を呼吸し、炭水化物を食べて生命を保つ。もうひとつの重要なメンバーが存在する。それは菌類と総称されるキノコ等の存在、土壌中に生育し、落葉や動物の死骸を有機物に分解、自分の餌とするとともに、それを肥料・養分として植物に提供するという循環の仕組みである。それぞれの役割分担によって、森を生産者、動物を消費者、菌類を分解者と呼んでいる。三者が持ちつ持たれつの関係で、豊かな生命圏を維持しているのである。そこには自然の摂理によってもたらされた、平等な関係性・依存性のみが存在しており、上下関係や優劣は存在しない。もし優劣が語られるとしたら、それは人類の傲慢なエゴであり、人類滅亡への入口となるであろう。

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巨樹がくれた夢
2021年2月12日 佐藤 憲隆


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会報 森人だより 第157号(2021年4月号)


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no157-2021-04


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巨樹がくれた夢(その6)心の依り代としての自然


「巨樹がくれた夢(その5)世代としての後ろめたさ」へ戻る

一神教の宗教には馴染めない自分にとって、心の拠りどころは、自然崇拝なのかもしれない。自分を取り巻く自然現象や自然物そして自然の仕組み、それらを私は偉大なものと感じ、畏敬の念を持ち続けている。精霊主義とも八百万の神とも言われるこのコンセプトは、教義も仕組みも未熟あるいは素朴すぎる故か、一神教の宗教に比して一段低く、原始的なものと見られているようであり、我が国でも神道や仏教との合体を試行しながら今に至っているようである。

巨樹あるいは森からのメッセージをごく自然に受け入れている自分にとっては、純粋な山岳信仰あるいは自然崇拝というコンセプトが心の拠りどころとなっている。このような立場となると、どうしても人類文明を批判せざるを得ない。

人類は「富と権力」を求めるという強烈なモチベーションで繁栄し巨大化し、結果的に自然破壊を繰り返してきた。これは負の局面である。しかし、一方では豊かな文化・科学を花咲かせ、多くの人に快適で安全な生活を実現させてきた。これはプラスの局面である。

私の好きなエピソードがある。人類が発生し、二足歩行を始めたことによって、人は多くの獲物や収穫を抱えて長い道のりを持ち帰ることが出来るようになり、それらを家族や仲間に分け与えることで絆が生まれて、集団生活が始まったというものである。

やがて人類は定住し、農業を始めた。農業の収穫物の殆どは保存可能であったので、人々はできるだけ多くの穀物を自分で保有・貯蔵したいという欲望を持ち、結果的に「富と権力」を求め、競争社会から格差社会への道を辿った。これは私の嫌いなエピソードである。人類の絶え間のない進歩は、地球規模という視点では大きなマイナス効果をもたらしている。

人種差別のことをレイシズムと呼ぶ。同様の使い方で生物種(スピーシーズ)差別の考え方をスピーシズムと呼ぶようである。人類は他の生物種より優れているので、何をやっても許されるという傲慢な考え方を指すもので、これが自然破壊ひいては地球環境破壊をもたらした原因だと考えられている。

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巨樹がくれた夢
2021年2月12日 佐藤 憲隆


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巨樹がくれた夢(その5)世代としての後ろめたさ


「巨樹がくれた夢(その4)森林、そして巨樹・巨木たち」へ戻る

学卒社員として入社した頃、先輩たちに「君たちは可哀そうだ」とよく言われたものである。何のことかよく分からなかったが、賞与や年金の額のことを言われていたようである。ところが、今は我々がその言葉を若い世代に感じているのが現実となっている。金額だけでなく仕事の確保も難しくなっている若い世代の人たちに、勝手に後ろめたさを感じている。つましくても食うに困らない我ら年金生活者は、若い世代に対して相対的に豊かになっているのかもしれない。

テレビで放映された、娘一人と過ごすシングル・マザーの話、特売の卵を娘だけに食べさせ、自分は食べないとのこと。思わず涙が出てしまったが、自分に出来ることは見当たらず、鬱々と晩酌をしている今日この頃である。

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巨樹がくれた夢
2021年2月12日 佐藤 憲隆


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巨樹がくれた夢(その4)森林、そして巨樹・巨木たち


「巨樹がくれた夢(その3)動物と植物」へ戻る

これまで色々な森を歩き、沢山の巨樹・巨木たちに出会ってきた。彼等は圧倒的な存在感で森に君臨しながら、決して威張っていない。むしろ優し気なオーラを周囲に発散している。長年を生きた証のように傷にまみれていたり、枯れた枝を付けていたり、満身創痍の状態である。人間でいえば悟りを開いた高僧か仙人といった存在であり、周囲の木々たちの敬愛の念に包まれているような気がする。
これらの巨樹・巨木たちは森林を代表する存在として、私たちに聞こうとしなければ聞こえない、無言のメッセージを発信し続けているような気がする。

以下に、この15年で私が体験した主要な森との関わりと受け取ったメッセージの数々について、簡潔に述べたい。

(1)湘南の森

大磯丘陵の一角を占める森林公園、ここでは10年以上にわたって森の保全整備を行ってきた。ここで学んだことは、照葉樹林と里山林の特徴と役割、そして天然の森の中に、過去の思い付きで植樹された沢山のソメイヨシノが例外なくテングス病に罹り、枯死への道を辿っていたこと。その傍では天然林のメンバーであるヤマザクラの大木が元気に毎年花を咲かしていたのである。人工的に作られたクローンであるソメイヨシノは自然林の中では、健全に成長出来なかったのである。ここでは思い切ってソメイヨシノを伐採することが、健全な森の再生に結び付いたのである。

(2)熱海の森

この森とも10年以上かかわったのであるが、典型的な放置された里山で、明るかった森が人に利用されずに放置されると、鹿や兎等の食害に会い、食害を受けない常緑樹主体の荒涼たる暗い森に変わってしまうという、国内の多くの地域で見られる現象の好例なのである。野生動物(鹿や兎に加えて、猪や外来のハクビシンなど)の最前線となってしまったこの森は、下草に乏しく、土砂が露出し降雨で流失しやすく、台風などによる大木の倒壊も多く、荒れ果てた森と化していた。この森を再生するにはかつての豊かな里山の姿を取り戻すことであり、常緑樹を間引いて太陽光を地表に取り入れ、落葉広葉樹を植樹するとともに、野生動物の食害を防ぐために植樹苗をネット等で囲うことであった。

ミズキの実生苗

キーワード「緑の目」と「動物防止柵」、これの実践により里山は復活するのである。

暗い照葉樹林に人が手を加えて作り上げた里山は、人が初めて達成した森に対する貢献であったのかもしれないが、この見本は寒冷地あるいは降雪地域の森には自然に存在するのである。
(好例は次に述べるおやじ山である。)

 

(3)おやじ山

おやじ山のカタクリ群生地

新潟県長岡市東山に位置する、1ヘクタール程の小さな森であるが、この森での経験が私の森に対する思いを深く豊かにしてくれたのである。豪雪地帯特有のスプリングエフェメラルと呼ばれる春の爆発的な花々の開花、そしてそこに関わる人たちの優しさ、山菜や茸などの豊かな山の幸、そして越後の酒・・・。おやじ山は私にとって天国のような存在の森なのである。

おやじ小屋

山主で森林インストラクター仲間の関さんが、子供のころお父さんに連れられて山菜や茸採りに行った楽しさが忘れられず、20年ほど前にそれとおぼしき場所の山林を購入し、森の中に単身小屋(おやじ小屋)を建設し、森の保全・育成に取り組んできたのが始まり、私たち首都圏に住む仲間は初めて訪れて以来その魅力の虜となり、毎年訪れるようになったのである。

(詳しくはHP「おやじ小屋から」参照のこと。)

(4)ブナ林で学んだこと

ブナの巨樹(丹沢堂平)

森の女王とも形容されるブナの森は、多くの動植物を養う豊かな存在である。寒冷な気候を好むブナの森は氷河時代には北半球の殆どを占めていたと言われる。故に氷河時代が終わったとされる1万2千年前以降は温暖化によってその生息域を減らしている。
太平洋側の伊豆や丹沢には立派なブナ林が存在するが、その殆どの樹が大木(直径50㎝以上)であり、小径木の生育が殆ど見られない。実生の苗は見られるが、決して幼木にまでは成長しない。気候と鹿等の食害が森の代替わりを許さないのである。従って、これらのブナの大木たちは絶滅への道を辿っているのである。

一方、越後などの降雪地域のブナ林は健全に森の代替わりが進行しており、大小様々なサイズのブナが仲良く共存しているのである。

天空のブナ林(新潟県長岡市)

しかし、このようなブナ林でも実生の苗が成木になる確率は数十万分の一と言われている。実生の苗は芽吹いたとしても十分な光が当たらないと成長が出来ず、親樹が枯死しなければ成長するチャンスは与えられないのである。これはブナ林だけに限った話でなく殆どの樹木に該当する現象である。この話は人口問題にも通じるのではないだろうか?人類は生まれた子供は全員育てようと努力する、それが人口増を招き、過剰な資源消費さらには環境破壊をもたらしているのではないだろうか?人類だけが無制限に好きなだけ、ほかの生物たちの犠牲の上に増殖してよいのだろうか?
もしかすると、コロナ問題は人口問題に収束するのかもしれない。地球規模での人類の密を避けることが一つの解決策なのかもしれない。

(5)内野梅園友の会

3年前に設立した、メンバー13名の任意団体は小田原市郊外の曽我丘陵で梅の栽培と収穫支援を行っている。10年ほど前に森林インストラクターの先輩である内野氏の実家の梅園を訪れ、梅見の宴に参加したのが縁となり、その後梅の収穫を手伝うことになり、果樹園の豊かさに魅了されたのである。同時に豊かな果樹園を維持する大変さと、後継者難で放棄された果樹園には容赦なく周辺の都市住民による家電等の不法投棄の場となる厳しい現実を突き付けられたのである。従って我らの活動は、たとえ収穫を多く期待出来ない梅園をも手入れし、不法投棄場所化を防ぎ、里山の景観を維持することが、大きな目的の一つとなっている。梅だけでなく、筍、柑橘類など様々な山の幸にも恵まれ、楽しく活動を続けている。ここも活発な猪の活動の最前線で、筍の食害も甚大であり、安全に共生してゆくことが課題である。

「巨樹がくれた夢(その5)世代としての後ろめたさ」へつづく

巨樹がくれた夢
2021年2月12日 佐藤 憲隆


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巨樹がくれた夢(その3)動物と植物


「巨樹がくれた夢(その2)コロナのこと」へ戻る

森林インストラクターになってすぐのこと、子供たちを森につれてゆき色々な体験をしてもらうキャンプのイベントがあった。最初に紙芝居を使って森のことを説明したのだが、動かずに生きている植物と生きていくために動き回る動物を対比させて説明し、君たちはどちらが良いと思うかと問いかけた。答えは意外にも半々、圧倒的に動きまわる動物を選ぶ子が多いと考えていた私の推測を裏切ったのである。

コロナで大ピンチに陥っている、航空業界、旅行業界、飲食業界等の存在とその理由を考えあぐねていた私には、上記の記憶が一つのヒントになった。人類が動き回ることにコロナ災忌の一因があるという仮説である。今度の危機は人々が動き回ることによって悪化した!!

戦争だって当事者が動けない植物同士であれば大きなものとはならない。動く存在の代表である人類は4億年前から繁栄してきた大先輩の植物たちの動かざる生きざまを謙虚に学ぶべきではないのか?

人類の祖先が現れたのは700万年前、ホモサピエンスに至ってはたかだか20万年前、1億年以上という気の遠くなるような長い時間を生きてきた、大先輩の植物(巨樹)にもっと敬意を払い、無言で発しているメッセージを聴くべきであろう。相手を破壊する能力があるから、それを駆使し、好きなようにふるまうこと、これが自然破壊の現実であり、人類滅亡の序章なのではないだろうか?!

その4へつづく

巨樹がくれた夢
2021年2月12日 佐藤 憲隆


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会報 森人だより 第156号(2021年3月号) 


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no156-2021-03


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巨樹がくれた夢(その2)コロナのこと


「巨樹がくれた夢(その1)夢」へ戻る

自分の歩んできた道を思い返すことが多くなった今日この頃、自分は年代的に戦争という大きな出来事を経験しているのだが、幼児として体験したのみで、まともに遭遇はしていないし、大きな艱難辛苦も経験しなかった。このまま無事に人生を終ることになりそうだし、実に幸せな世代の一員なのだと考えていた。

コロナ禍で利用客の居なくなった空港カウンター

ところが、一週間も経たないうちにコロナ問題が顕在化し、あれよあれよという間に、地球レベルの危機であることが明らかになり、いまだに先の見通せない状態で、私の抱いた幸福感は吹き飛んでしまった。

最初に思ったことは、人類文明の行き過ぎに対する神の怒り・地球の復讐の類に違いないということであったが、すぐにそんな短絡的・感情的なものではないと思い直し、冷静に考えてみた。

改めて思ったことは、人類が長年自然の摂理に反して活動してきたことに対する当然の帰結であるということであった。その時、私の頭の中には森や巨樹・巨木、大海原、宇宙から見た地球などのイメージが去来していた。そして、自分も人類の危機ともいうべきこの大災忌に向かい合う当事者の一人であることを確信した。

その3へつづく

巨樹がくれた夢
2021年2月12日 佐藤 憲隆

 


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