巨樹がくれた夢(その4)森林、そして巨樹・巨木たち


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これまで色々な森を歩き、沢山の巨樹・巨木たちに出会ってきた。彼等は圧倒的な存在感で森に君臨しながら、決して威張っていない。むしろ優し気なオーラを周囲に発散している。長年を生きた証のように傷にまみれていたり、枯れた枝を付けていたり、満身創痍の状態である。人間でいえば悟りを開いた高僧か仙人といった存在であり、周囲の木々たちの敬愛の念に包まれているような気がする。
これらの巨樹・巨木たちは森林を代表する存在として、私たちに聞こうとしなければ聞こえない、無言のメッセージを発信し続けているような気がする。

以下に、この15年で私が体験した主要な森との関わりと受け取ったメッセージの数々について、簡潔に述べたい。

(1)湘南の森

大磯丘陵の一角を占める森林公園、ここでは10年以上にわたって森の保全整備を行ってきた。ここで学んだことは、照葉樹林と里山林の特徴と役割、そして天然の森の中に、過去の思い付きで植樹された沢山のソメイヨシノが例外なくテングス病に罹り、枯死への道を辿っていたこと。その傍では天然林のメンバーであるヤマザクラの大木が元気に毎年花を咲かしていたのである。人工的に作られたクローンであるソメイヨシノは自然林の中では、健全に成長出来なかったのである。ここでは思い切ってソメイヨシノを伐採することが、健全な森の再生に結び付いたのである。

(2)熱海の森

この森とも10年以上かかわったのであるが、典型的な放置された里山で、明るかった森が人に利用されずに放置されると、鹿や兎等の食害に会い、食害を受けない常緑樹主体の荒涼たる暗い森に変わってしまうという、国内の多くの地域で見られる現象の好例なのである。野生動物(鹿や兎に加えて、猪や外来のハクビシンなど)の最前線となってしまったこの森は、下草に乏しく、土砂が露出し降雨で流失しやすく、台風などによる大木の倒壊も多く、荒れ果てた森と化していた。この森を再生するにはかつての豊かな里山の姿を取り戻すことであり、常緑樹を間引いて太陽光を地表に取り入れ、落葉広葉樹を植樹するとともに、野生動物の食害を防ぐために植樹苗をネット等で囲うことであった。

ミズキの実生苗

キーワード「緑の目」と「動物防止柵」、これの実践により里山は復活するのである。

暗い照葉樹林に人が手を加えて作り上げた里山は、人が初めて達成した森に対する貢献であったのかもしれないが、この見本は寒冷地あるいは降雪地域の森には自然に存在するのである。
(好例は次に述べるおやじ山である。)

 

(3)おやじ山

おやじ山のカタクリ群生地

新潟県長岡市東山に位置する、1ヘクタール程の小さな森であるが、この森での経験が私の森に対する思いを深く豊かにしてくれたのである。豪雪地帯特有のスプリングエフェメラルと呼ばれる春の爆発的な花々の開花、そしてそこに関わる人たちの優しさ、山菜や茸などの豊かな山の幸、そして越後の酒・・・。おやじ山は私にとって天国のような存在の森なのである。

おやじ小屋

山主で森林インストラクター仲間の関さんが、子供のころお父さんに連れられて山菜や茸採りに行った楽しさが忘れられず、20年ほど前にそれとおぼしき場所の山林を購入し、森の中に単身小屋(おやじ小屋)を建設し、森の保全・育成に取り組んできたのが始まり、私たち首都圏に住む仲間は初めて訪れて以来その魅力の虜となり、毎年訪れるようになったのである。

(詳しくはHP「おやじ小屋から」参照のこと。)

(4)ブナ林で学んだこと

ブナの巨樹(丹沢堂平)

森の女王とも形容されるブナの森は、多くの動植物を養う豊かな存在である。寒冷な気候を好むブナの森は氷河時代には北半球の殆どを占めていたと言われる。故に氷河時代が終わったとされる1万2千年前以降は温暖化によってその生息域を減らしている。
太平洋側の伊豆や丹沢には立派なブナ林が存在するが、その殆どの樹が大木(直径50㎝以上)であり、小径木の生育が殆ど見られない。実生の苗は見られるが、決して幼木にまでは成長しない。気候と鹿等の食害が森の代替わりを許さないのである。従って、これらのブナの大木たちは絶滅への道を辿っているのである。

一方、越後などの降雪地域のブナ林は健全に森の代替わりが進行しており、大小様々なサイズのブナが仲良く共存しているのである。

天空のブナ林(新潟県長岡市)

しかし、このようなブナ林でも実生の苗が成木になる確率は数十万分の一と言われている。実生の苗は芽吹いたとしても十分な光が当たらないと成長が出来ず、親樹が枯死しなければ成長するチャンスは与えられないのである。これはブナ林だけに限った話でなく殆どの樹木に該当する現象である。この話は人口問題にも通じるのではないだろうか?人類は生まれた子供は全員育てようと努力する、それが人口増を招き、過剰な資源消費さらには環境破壊をもたらしているのではないだろうか?人類だけが無制限に好きなだけ、ほかの生物たちの犠牲の上に増殖してよいのだろうか?
もしかすると、コロナ問題は人口問題に収束するのかもしれない。地球規模での人類の密を避けることが一つの解決策なのかもしれない。

(5)内野梅園友の会

3年前に設立した、メンバー13名の任意団体は小田原市郊外の曽我丘陵で梅の栽培と収穫支援を行っている。10年ほど前に森林インストラクターの先輩である内野氏の実家の梅園を訪れ、梅見の宴に参加したのが縁となり、その後梅の収穫を手伝うことになり、果樹園の豊かさに魅了されたのである。同時に豊かな果樹園を維持する大変さと、後継者難で放棄された果樹園には容赦なく周辺の都市住民による家電等の不法投棄の場となる厳しい現実を突き付けられたのである。従って我らの活動は、たとえ収穫を多く期待出来ない梅園をも手入れし、不法投棄場所化を防ぎ、里山の景観を維持することが、大きな目的の一つとなっている。梅だけでなく、筍、柑橘類など様々な山の幸にも恵まれ、楽しく活動を続けている。ここも活発な猪の活動の最前線で、筍の食害も甚大であり、安全に共生してゆくことが課題である。

「巨樹がくれた夢(その5)世代としての後ろめたさ」へつづく

巨樹がくれた夢
2021年2月12日 佐藤 憲隆


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