伊豆の日暮らし(続・巨樹がくれた夢)
(その3)山笑う
「山笑う」とは春の俳句の季語、語源は「臥遊録」にある「春山淡冶にして笑うが如」よりきた語とされている。私は伊豆に来て、何度も冬を過ごし、待ち焦がれた春を迎える周囲の山々の変化を目の当たりにして、まさに「山笑う」とはこのことだと納得したのである。おまけに悪乗りして四楽章の交響曲に例えてしまった。
第一楽章:目覚め
ある日、なんの変化もなく枯葉色に眠っていた山に、見えるか見えないかというサイズの緑の点が現れ、段々と点が大きくパッチ状となり、淡緑色の若葉の塊がどんどん大きくなり全体を染めてゆく。芽吹きという季節の変化のダイナミズム。
第二楽章:桜笑う
桜が咲き始め、山全体が色づき、華やぎ、春のクライマックスを迎える。山全体が桜の笑顔で埋まっている。
第三楽章:若葉の競演
木々は若葉で染まりその色は、木ごとに微妙に異なる。個々の木が色の違いにより識別できる。常緑広葉樹が独特の変化を強調し存在感を訴える。クスノキの樹冠は赤く染まり、椎の木(スダジイ)の樹冠は黄金色に輝く。山全体が喜んでいる。常緑広葉樹も華麗な若葉を見せるのである。
第四楽章:森色の森
樹々は若葉色から深緑色に変わり、森色に溶け込みひとつとなる。春の祭りは終わったのである。やがて梅雨を迎える頃には個々の樹々の識別が出来ないほど深い緑の森色に溶け込んでゆく。
ここでは第二楽章「桜笑う」について、やや詳しく述べてみる。
「桜笑う」はこの時期の伊豆の里山を彩る桜たちを指すもので、街に咲くソメイヨシノなどの園芸種を指すものではない。
ソメイヨシノが開花する頃、里山のあちこちが白からピンク系に色づいてゆく何とも言えぬ美しい景色を指すのである。
「桜笑う」の主役はヤマザクラで、ピンク系と白系と緑系があるようである。ある日これらの正体を確かめるべく森に入ったが、試みは失敗に終わった。桜も含めて殆どの樹々が、どれも10m以上の高木で、下から見上げても花の様子が分からなかったのである。人間の手が入らなくなった里山の樹々は密集し、光を求めて上へ上へと伸びてゆき、桜は光を得られる上部のみ花を咲かせたのである。何故こんなに多くの桜があるのか?それは小鳥たちによる種の拡散であると推定される。小鳥たちの多さは、麓のミカン園の多さに支えられているものとも推定される。奈良の吉野山程とは言えないが、伊豆の里山に見られる桜の分布の濃さは特筆ものだと思える。嘘だと思うなら、この時期の小田急沿線と伊豆急沿線の車窓からの景色を比べて欲しいと思う。
先に述べたピンク系の桜は、多分ヤマザクラで、赤っぽい葉の芽吹きと同時に開花し、よりピンクが映えるのであろう。白系は野生のオオシマザクラかもしれない。緑系は緑の葉の芽吹きと白い花が重なって見えるものと推定するが、そんなヤマザクラがあるのか、あるいはオオシマザクラなのか、まだ結論が出ていない。来年のシーズンには結論を出したいと考える。
いずれにしても、伊豆の「桜笑う」は放置された里山に、野鳥たちが創り上げた、ワンダーランドなのである。
(2021年7月7日、佐藤憲隆)
(つづく)