伊豆の日暮らし(続・巨樹がくれた夢)
(その4)ワクチン接種、そして熱海の土石流
コロナワクチンの接種が仲間うちで話題となり、自分もそろそろと考え始めた。私は住民登録を横浜市にしているので、同市の接種が必要と考え、HPにアクセスしたが、全然繋がらない。
それではと国の大規模接種にもアクセスしたが、これも全然ダメ、ニュースで予約の枠が空いていると報道されても、ログインが出来ないのである。これが日本のお役所仕事かと、腹をくくって、神奈川県での一番最後の高齢接種者となることを覚悟した。
ところが、持つべきものは友達、高校時代の同級生のアドバイスで、あっという間に新横浜駅前のクリニックに予約が取れたのである。ズルをしたわけでもなく、普通に一発で取れたのである。
前置きが長くなったが、これからが話の本筋、7月2日(金曜日)に二回目の接種を受けることになり、早朝伊豆急の宇佐美駅を出発した。何故なら、ここのところ長雨が続いており、超ローカルの伊東線が不通になることを恐れたのである。幸い交通網に異常はなく、土砂降りの新横浜駅に到着、接種も無事に終えることができた。帰途は横浜線で町田に出て、小田急線で小田原に到着、昼食をとり、東海道線の改札に向かった。ところが伊東線の伊豆多賀・網代間が不通になっているではないか!!原因は線路の点検、復旧時刻は未定。本能的にこれはダメだ、早急の復旧は無理だと思い、引き返して横浜の自宅に宿泊、次の日しばらく会っていなかった孫一家と会い、午後帰途についた。
後から知ったのだが、この日の午前中に熱海市・伊豆山の土石流がおきていたのである。東海道線の小田原・熱海間は不通であったが、新幹線は大幅遅延でも動いていたのでなんとか、「こだま」に乗って熱海に到着。宇佐美のマンションの友人が、伊豆急の熱海の一駅先の来宮で働いていたので、来宮駅まで徒歩で行き、彼のクルマに便乗させてもらってようやく宇佐美まで帰り着いたのである。
その夜のテレビのニュースは、熱海の土石流の衝撃的な映像を繰り返し放映していた。その映像には普段通る国道135号線の景色も含まれており、「逢染橋」というロマンチックな赤い橋の存在が私の記憶に残っていたのである。
報道によれば、土石流の始まった地点が盛り土であったとのこと、新聞の写真を見て、私は直感的に盛り土と呼べるようなものではなく、大規模な土砂捨て場であったに違いないと推定した。これは多分人災なのであろうと。
常識的に使われる「盛り土」、「切土」は山を削って出た土を、平坦地の地盤として活用し、階段状の造成地をつくる過程を示す言葉である。多分本工事の申請は盛り土として行われたものの、始めから土砂捨て場として外部から持ち込んだ土砂を多量に捨てたものと推定した。別な言い方をすれば下流の住民の知らない上流に土石流の原料が貯められていたという恐ろしい仮説が成り立つのである。その後の報道で、盛り土の安全に必要な水抜き孔や下流域での砂防堰堤が皆無であったことを知り、私の推定は確信に変わった。これは人災だったのだと。今回の災害は、地球温暖化が進み、気候が凶暴化している昨今、モンスーン地帯に位置する我が国に起こりえる恐ろしい出来事の先駆けであるのかもしれない。
東海道線の熱海駅から出発する上り列車は、直ぐ短いトンネルに入るのであるが、このトンネルの出口が逢染川、鉄道の高架橋の下を土石流が流れ下り、国道を横切って海にまで流下する土石流となったのである。ここから見下ろす無残な光景を乗客の殆どは気付いていない。東海道線の直ぐ上には平行して走る新幹線の高架橋がある。二つの高架橋は下を走り抜けた土石流に見事に耐え抜いたのであろう。この地点を通るたびに復旧作業の進展が見られるのであるが、私は毎回慄然とした気分でこの光景を見つめている。
30人近い人命と、100軒以上の人家を一瞬に破壊した土石流、まさに人間が原因を作り、自然が起こした「魔の山津波」の恐怖を、私はひしひしと感じるのである。
(2021年7月20日、佐藤憲隆)