我が栖(すみか)のあるおやじ山の3月は、『冬山惨淡而如レ睡』(冬山惨淡として睡(ねむ)るが如く)『春山淡冶而如レ笑』(春山淡冶にして笑うが如し)に拠る俳句の季語、<山眠る>冬と<山笑う>春とのちょうど端境の季節にあたります。
3月2日、同じ神奈川会の森林インストラクター野呂さんと共におやじ山に入り、今冬2度目の山小屋の雪掘りを手伝ってもらいました。1月末におやじ小屋(我が栖の名称です)1回目の雪掘りを済ませた後も、連日テレビで北国の豪雪映像を脅し流すので、止む無く腰を上げた次第です。
おやじ山がある私の郷里長岡では、昔から『カマキリが高いところに卵を産むと大雪になる』という言い伝えがあり、それを越後人のねばり強さで40年以上にも渡って毎年卵のうの位置を調べ上げて統計学的に実証して見せた郷土のカマキリ博士酒井輿喜夫氏(*)が、昨秋「今年は昨年に続いて大雪の気配」と予告しましたが、今冬はほぼその通りの積雪になりました。
野呂さんが帰った後も私はそのまま一人でおやじ小屋に留まって持ち山の手入れをすることにしました。雪国にとっては降り積もった雪が締まりシミワタリ(凍み渡り)ができるこの時期が、植林の枝打ちや間伐にはもってこいの時期なのです。他人からは「たった一人でこんな山奥で過ごして怖くないですか?」と訊かれますが、全く怖いと感じたことはありません。電気もガスも通じていない人里離れた山暮らしですが、ここに居るとどんどん自分が自然の中に溶け込んでいって、すっかり周りと同化してしまうような不思議な安心感を覚えるのです。
朝起きて目にする山菜山と名付けている小屋前の雪の斜面が、純白の艶やかな雪肌をたおやかに起伏させている風景や、その雪原に新たに刻印されたノウサギやテンやキツネの足跡を目で辿りながら、彼等の躍動を面白く想像して楽しんだりしています。今年は例年にも増してノウサギの姿を多く見かけました。真っ白な身を躍らせて雪原を一目散に駆け下る姿は、なる程「脱兎の如く」の表現通りだと、その慧眼に感心させられもします。
そして陽が西の空に傾いていく夕間暮れ、山菜山が夕日を受けて見事なオレンジ色に染まります。そのなまめかしいほどの雪肌が、淡い桜色にと変化し、さらに淡墨色に変わって紫紺の空に溶け込んでいく時になって、ようやくキリキリとした寒さが襲って来ているのに気付くのです。
さて、日本海側の多雪地帯で咲くマンサクは「マルバマンサク」ですが、昨年は錦糸卵のようなチリチリの花びらも誠に貧弱極まりない不作年でした。しかし今年は一転、まさに「満作」の名に恥じない枝いっぱいの見事な花付きになりました。同じ日本海要素のニシキマンサクも今年は豪華に咲き誇って、濃い黄色の花びらが残雪の白さと空の青さに同時に映えて、今年は堂々と自己主張しています。
また小屋のすぐ脇にある池では、クロサンショウウオが3月12日に続いて22日に今年2回目の産卵をしました。これからさらに日数をおいて3回、4回と産卵を繰り返して彼らは森の中に消えて行ってしまいます。
3月25日、今回の所期の山仕事が一段落したのでおやじ山を下りました。入山の時には真っ白だったおやじ山も急速に雪解けが進んで、まだら模様の大きな雪穴が目立つようになりました。もう直ぐおやじ山の山明けです。そして待ちに待った地元の山菜採りで賑わう<山笑う>春になることでしょう。(関 孝雄)
詳細はホームページ「おやじ小屋から」 http://www.oyajigoya.com でご覧下さい。
(*)酒井輿喜夫著「カマキリは大雪を知っていた」(農山漁村文化協会)が出版されています。
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